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長崎地方裁判所佐世保支部 昭和45年(ワ)77号 判決 1973年3月19日

原告 鮫島和郎

右訴訟代理人弁護士 小西武夫

被告 逆瀬川義信

右訴訟代理人弁護士 清川明

主文

被告は原告に対し金七万円およびこれに対する昭和四五年三月二五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを五分しその一を被告の負担としその余を原告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

被告は原告に対し金五〇万円および昭和四五年三月二五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原被告の地位、身分

原告は昭和三七年五月一日中学校教諭に任ぜられ、昭和四四年四月以降佐世保市立愛宕中学校三年二組の担任教師であり、被告は当時同校の校長であった。

2  原告が落書コーナーと題する模造紙を設置した動機目的。

原告は中学校教諭に任ぜられて以来、生徒の個性を尊重し、自主的精神に充ちた人格の育成を期して、教師としての職務を励んでいたところ、昭和四一年四月一日右愛宕中学校に転任して同校の生徒を観察するに、一般に極めておとなしく授業や学級活動等における発言が少なかったので、これを改め、発表力のある自主的精神に充ちた生徒を育てたいと念願していた。そして昭和四四年四月同校三年二組の担任となったが同組の生徒も右と同じ状態であったので、前記原告の目的を実現する第一歩として、同年六月二五日、同組の教室の壁に模造紙を張り、これに落書コーナーという題を付けて、生徒に対して学級、学校、教師に対する意見などを自由に書くように言った。右はまず、生徒らに思っていることを自由に右模造紙の落書コーナーに書かせ、事後にその書かれたものについて学級活動の時間に討論し、原告が適切な指導を加えることとし、序々に原告の所期の目的を達しようとする意図で設置した。

3  被告の第一の不法行為―本件落書コーナーと題する模造紙をはぎ取ったこと。

原告が同月二五日に張り出した落書コーナーは生徒らが漫画等なぐり書きをしたのみであったため原告はこれを基に討論をすることができず、翌二六日の朝別の模造紙(以下本件落書コーナーと略称する。)と取替え、生徒に対しては「もっと意味のあることを書け。」と注意を与えた。

ところが、被告は同日午後最初の授業時間(五校時)中教室備品等の点検のため校内巡視をし右三年二組の教室に入って本件落書コーナーを認めたところ、落書の中に「校長の口にセロハンテープをどうぞ」「校長五島行き」など被告に対する悪口を書いてあったのでこれに逆上し、本来生徒に対する教育権は第一次的に担任教師にあり、校長はこれを通じてのみ生徒を教育する権限しかないのに、本件落書コーナーを設置した原告の教育上の動機、目的等は何ら顧慮することなく、原告にも無断で本件落書コーナーをはぎ取った。右行為は故意又は過失により原告の教育権および教師としての名誉を侵害するものであって、これにより生徒、ひいてはその保護者の原告に対する信頼を著しく傷付けた。

4  被告の第二の不法行為―本件落書コーナーに関し佐世保市教育委員会(以下単に市教委と略称する。)および同市会議員に対して虚偽の事実を報告したこと。

被告は従前から原告が県教組佐世保総支部の執行委員として活発に組合活動を行なう者であったのでこれに対し偏見を抱いていたところ、本件落書コーナーには前記被告に対する悪口の外に「佐藤(時の首相)を消せ。」「全中連結成。学校に教師を入れるな。」等政治的に過激な文言が書いてあったためこれを重視し、原告が本件落書コーナーを設置した動機目的を同人から聴取する等の弁明の機会を一切与えず、同月二七日以降市教委に対し、原告が生徒を指導して右のような文言を書かせたものであると虚偽の事実を報告し、さらに同年九月一九日から始まった定例佐世保市議会の開会直前に同議会議員原田昭に対し、本件落書コーナーを見せ、市教委に対すると同様虚偽の事実を告げた。被告は、原告の教師としての不適格性が市教委および同市議会において論じられ、原告に対して何らかの不利益処分がなされるか、あるいは原告が世人から教師として不適格であるとのらく印を押されることを意図して、右の各行為をなしたものである。

右の結果、市議会において、原告は教師として不適格であるとの論議が行なわれただけでなく、原告は市議会に参考人として呼ばれて政治的な偏向教育をしているのではないかと追及され、さらにその旨世人に信じ込ませるような新聞報道がなされた。右により原告は教師としての名誉を侵害され、生徒およびその保護者、一般世人から教師として不適格ではないかと疑われ、さらに教師としての身分すらおびやかされた。

5  原告は被告の右3、4記載の不法行為により著しい精神的苦痛を被り、これを慰藉するには金五〇万円を要するから被告に対し右金員とこれに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和四五年三月二五日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否および被告の主張

1  請求原因1の事実は認める。

2  請求原因2の事実中愛宕中学校の生徒が極めておとなしく授業や学級活動等における発言が少ないという点は否認し、その余の事実は不知。

3  請求原因3の事実中被告が原告主張の日時ころ校内巡視の途中原告主張の場所において本件落書コーナーをはぎ取ったことは認めるがその余の事実は否認する。

被告は本件落書コーナーに「学校をフウサせよ。先生がそうじせろ。学校に教師を入れるな。学校はいじょ。国会議事堂をぶちこわせ。佐藤を消せ。通知表の点数制をなくせ。校長五島行き、久野先生とかわってこい。」等不穏当な落書が書いてあったので教育的見地からこれを教室内に展示しておくべきものではないと判断し、学校の管理責任者として独自の権限ではぎとったものである。

4  請求原因4の事実中落書の内容、被告が本件落書コーナーの問題を市教委に報告したこと、右問題が同年九月二〇日の定例佐世保市議会で質議されたこと、そのためこれが新聞に報道されたことは認めるがその余の事実は否認する。

5  請求原因5の事実は否認する。

第三証拠≪省略≫

理由

一  請求原因1の事実および請求原因3の事実中被告が原告主張の日時ころ校内巡視の途中原告主張の場所において本件落書コーナーをはぎ取った事実は当事者間に争いがない。

二  ≪証拠省略≫によると次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

1  原告は、日頃生徒は自分の思っていることをはっきり言える人間であって欲しいと思っていたところ、原告の担任する学級の生徒は一般におとなしく学級活動の時間など学級内に起っている種々の問題を話し合いより良い学級を作ろうという意欲に乏しく、また授業時間中も発言が少ないなど原告の期待にそわない状態であったので右の学級活動の時間などを盛り上げるための一方法として落書コーナーと題する模造紙を学級内に張り出し、生徒の思っていることを何でも書かせこれを学級活動における話し合いの素材にしようと考えた。

2  そこで原告は昭和四四年六月二五日まず第一枚目の模造紙に落書コーナーと題を付けて教室内に張り出し、生徒に対しては単に何でも書いて良い旨告げて翌朝右模造紙を見たところ、内容はすべて漫画などのなぐり書きであって原告の期待に反したため、即座にこれを本件落書コーナーと取り替え、生徒に対しては、今度はもっと意味のあるものを書くように注意した。そして原告が同日午前中の三回目の授業時間(三校時、以下同様の趣旨。)に学級に授業のため入って本件落書コーナーを見たところ、「鮫島先生にお嫁さん募集。」「校長の口にセキスイのセロハンテープをどうぞ。」「通知表の点数制をなくせ。」という文言が書いてあったが、原告としては、右は学級活動の時間に取り上げる予定のものであったから、生徒に対して右落書について特に批評はしなかった。

3  本件落書コーナーはその日の昼休みにほとんど全紙面にわたって書き尽くされた。右落書の内容は前記の外には「民主政治やめろ。」「日米安保をとりやめろ。」「ベトナム戦争ハンタイ、ハンタイ……。」「内閣政党をなくせ。」などの政治的スローガンを記したもの、「佐藤(時の首相)を消せ。」「国会議じ堂をぶちこわせ。」「第三次世界大戦おっぱじめろ。」「ベトナム戦争大カンゲイ。」など暴力、戦争を礼賛するもの、「校長五島行き、久野先生とかわってこい。」「校長出ていけ。」など被告個人を攻撃する内容のもの、「運動会をなくせ。」「休みをふやせ。」「早めしにせろ。」「テストをなくせ。」「先生がそうじせろ。」など学校生活における生徒の単純な欲求不満を表現したもの、「全中連結成。」「学校に教師を入れるな。」「学校はいじょ。」などいわゆる学生運動に関連するもの、「ぢーですか、オロナインおつけやす。」「かまぼこはたくさんたべましょう。」など単なるいたずら書きにすぎないもの等様々であった。

三  前示当事者間に争いのない事実、≪証拠省略≫によると、被告は同日午後五校時、同年七月初めに市教委の視察が予定されていたためこれに備え、教頭の野中藤次とともに学校内の備品等を点検する目的で学内を巡視する途中、当時秋吉良子教諭の国語の授業中であった原告担任の三年二組の教室に入って本件落書コーナーを発見し、教室に展示しておくことが好ましくないとの判断のもとに、即座にこれをはぎ取って校長室へ持ち帰ったことが認められ、右認定に反する証拠はない。

四  ところで、教諭が生徒を教育する目的で教室内に展示した物を、第三者が当該教諭に無断で持ち去ることは原則として違法な行為といわなければならない。しかし、右展示物が社会通念に照らして教育の場としての教室に展示するのにふさわしくないと考えられる物であるなど特別な事情があるときは、校務全般について責任を負い、教諭を指導監督する立場にある校長自らの判断で右展示物をとりはずしても、これをもって違法ということはできない。

これを本件についてみるに、本件落書コーナーを設置した原告の意図はその教育的効果は別として、前記認定のとおり真摯なものであったが、本件落書コーナーに記載された内容は前記認定のとおりほとんど過激な政治的スローガン等を記載したもの、被告個人を侮辱するもの、学校生活における生徒の欲求不満を逃避的に表現したに過ぎないもの等不真面目なものであって、社会通念に照らして教育の場としての教室に展示するのにふさわしいものといえず、また被告がこれをはぎ取った時点においては、原告がこれを前記認定の動機目的をもって設置したものであることを事前に知っていたと認めるに足りる証拠もなく、かえって生徒らが勝手に模造紙を張って落書したものと考えていたと認めるべき余地がないわけでもないから、右のような事情の下において被告が本件落書コーナーをはぎ取った行為を違法ということはできない。

よってこの点に関する原告の主張は理由がない。

五  ≪証拠省略≫を総合すると次の事実が認められる。

1  被告は前同日本件落書コーナーをはぎ取った後三年の学年主任に向かって原告を非難し、学級担任をやめさせることをほのめかす発言をしたため同日四時頃から原告を除く三年の学級担任教諭全員が集まって学年会が開かれた結果右学年会は被告がそのような措置をとることに反対の意思を固め、被告にもその旨伝えたところ、被告はこれを了承した。

2  被告は翌二七日、原告からは何らの事情も聴取せずに、本件落書コーナーを持って市教委へ赴き、尾崎管理主事、井手学校教育課長にこれを見せたところ、右両名は落書の内容に不穏当なものがあるから、学校の中で原告および生徒を指導するよう被告に勧告した。そして被告は同日教頭の野中藤次を通じて原告に対して当時は同年初めころから東大を初め各大学においていわゆる学園紛争の盛んに起ったときなので本件のような落書を書かせて教室に張り出しておくのは愛宕中学のために良くない旨告げて注意した。

3  被告は翌二八日(土曜日)午後本件落書をした七名の生徒のうち六名(一名は同日欠席)を校長室へ呼び出し、一人ずつ落書した文を指示させ、これを書いた動機について「本件のような落書をきみたちだけで書けるはずがない。誰かに教えられたのではないか。」という趣旨の追及を厳しく行ない返答をしなかった生徒に対しては同人の肩付近を棒で小突く等の有形力まで行使した。

4  被告はさらに同月三〇日(月曜日)右七名の生徒の各保護者を学校へ呼び(うち六名出席)、子弟の教育に十分注意するよう促した。

以上の事実が認められ(る。)≪証拠判断省略≫

六  ≪証拠省略≫によると次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

1  その後本件落書コーナーに思想的に不穏当なことが書いてあってこれは原告の教育方針の影響ではないかと生徒らの父兄が心配している旨のうわさが愛宕中学校の校区内に広がり、右は佐世保市議会議員原田昭、同浜田昇の知るところとなり、右原田市議は事実確認のため、被告に対し本件落書コーナーを見せてもらいたい旨依頼し、同年七月上旬、愛宕中学校の校長室においてこれを被告から見せてもらった。なお被告も右のうわさは当時察知していた。

2  右原田市議は同年九月一九日から始まった定例佐世保市議会の二日目にあたる同月二〇日市教育長に対し「愛宕中学のある教室に愛宕中学共闘会議名義の掲示が張り出され、日米安保をとりやめろ、佐藤を消せ等政治的に一方に偏した内容の文言が記載された事件が発生したが、これは担任教師の示唆によって書かれたものと思われる。このような人物は教師として適格であるか。」という趣旨の質問をしたところ辻光徳教育長はこれに対し「政治的発言、上司に対する誹謗等不穏当な落書を生徒らがしたのはその先生の示唆によるものらしいので校長を通じて本人にも厳重な注意を与えており現在は右落書コーナーは設置されていない。今後再び右のような行為をくり返すなら断固たる措置をとるつもりである。」という趣旨の答弁をした。また同日浜田市議も同趣旨の質問をし同趣旨の答弁がなされた。

七  ≪証拠省略≫によると、次の事実が認められる。

1  本件落書コーナー事件が市議会で問題となったことから、同月二三日付の長崎新聞には「教室内に政治的落書き。」「担任教師が指導?。」「注意した校長も暴力か。」という四段抜きの見出しの下に五段にわたって、右両市議が本件落書コーナーに関し、原告が生徒に対し、政治的偏向教育をしているとして市教委を追及した旨の記事が掲載され、さらに同日付の朝日新聞にも二段にわたって右と同趣旨の報道がなされた。また同月二五日付の毎日新聞は本件落書コーナーに関し三段にわたり原被告双方の主張を報じたが、これによれば原告は前記二1において認定した事実と同趣旨のことを述べており、一方被告は「本件のような落書コーナーの教育的価値は対象者が精薄児か小学校低学年の場合だけ認められ、中学生には全く価値がない。中学生に落書を書かせると無責任なものを書くばかりで有害だ。」という趣旨のことを述べた旨それぞれ記載報道されている。

2  同月二六日、佐世保市議会文教民生委員会は本件落書コーナー事件に関し特別に研究会を設け、原被告双方を参考人として招いて事情を聴取したが、ここにおいても原告は一部議員から政治的に偏向教育をしているのではないかと追及された。しかし、両者の主張がくい違うため、同研究会としてはそれ以上の追及は無理であるという結論に達し終了した。

3  西日本新聞は、同月二七日右市議会の特別研究会に関し、「造反落書事件で論争。」「研究会に“証人喚問”。」などの五段抜きの見出しの下に九段にわたり報道したが、その内容は反市教組議員が“造反教育”を追及し、一方原告を擁護する議員は原告の名誉侵害と反論し、逆に被告が生徒を棒で小突いた事実を追及したため、事実を明らかにするため、当事者から事情を聴取したものであるというものであった。

八  ≪証拠省略≫によると、被告はこれより先同月二〇日ころ、原田市議らが本件落書コーナーに関し市議会で市教委に対し質問する旨の情報を得た市教委から報告を求められ文書で報告したのが市教委から書き直しを指示され、改めて同月二六日付で報告書を提出したが被告は右報告書提出に至るまで本件落書コーナー設置の本人である原告に対し、その動機目的等について弁明の機会を全く与えず、他方原告も被告に対し本件について一切の弁明を試みようとせず、本件落書コーナーを返還するよう求めることもなかったことが認められ、右認定に反する証拠はない。

九  以上認定の事実に基づき考えると、原告は当初担任学級の生徒を発表力のある生徒にし、学級活動をより活発なものとするための一方法として本件落書コーナーを設置したにすぎず、右は教育的目的をもってなされたものであるが、右原告の意図は被告によってはばまれた結果となり、右落書コーナー設置の教育的意図、目的、原告の指導内容について弁明の機会を一切与えられず、また事実関係につきなんら聞かれることなく、原田市議らには原告が生徒に対しあたかも過激な政治教育をしているかのように扱われ、佐世保市議会に参考人として呼び出しを受けたうえに、右の過激な政治教育をしているのではないかと追及され、さらに前記認定のとおり一般世人に原告が右のような教育をしているのではないかと疑われるに足りる新聞記事まで出されたのであるからこれにより原告が教師としての名誉を侵害されたことは明らかである。

一〇  ところで、本件落書コーナー事件の発生した当時愛宕中学校に過激な政治活動をするグループの存在したことを認めるに足りる何らの証拠もないし、甲七号証(本件落書コーナー)を全体として観察した印象を総合すると、本件落書は、生徒らが深い考えもなく、当時の新聞、テレビ等の報道から見聞きした言葉を並べ書き、また単なるいたずらとして面白半分に校長、教諭等に対する不満等を書いたものと考えられる。しかるに、被告は本件落書の記載内容を表現どおりに生真面目に受けとり、しかもかなり感情的な態度で事を処理しようとしていた事実を推認できる。

一一  そして又、被告が本件落書コーナーをはぎ取った直後原告を学級担任からやめさせる旨ほのめかしたこと、その翌日これを持って市教委へ報告に行ったこと、被告が本件落書をした生徒らに対し、「誰に教えられて書いたのか。」という趣旨の追及をかなり厳しく行っていること、≪証拠省略≫により認められるように原告は当時長崎県教職員組合佐世保総支部の執行委員をしていたこと、以上の事実を総合すると、被告としては、生徒らが本件落書をしたのは原告の責任であり、同人が生徒らに対し、本件のような政治的に過激もしくは破壊的落書を書くように何らかの方法で示唆したものと考えていた事実を推認することができる。原告は生徒らに対し、単なる漫画ではなくもっと意味のあるものを書くように指示したに過ぎないのであるから、右は被告の誤解というべきである。

被告が原告から一切事情を聴取しなかったのも、右誤解の程度が強かったことを裏付けるものと考えられる。

一二  そして被告は、本件落書コーナーの問題について市教委へ報告(本件落書コーナーをはぎ取った日の翌日および市議会開会前後ころの報告)した際、本件落書をした生徒の保護者らを学校に呼び出して注意を促した際、および原田市議に本件落書コーナーを見せた際、いずれも右誤解に基づいて原告の責任に触れたものと考えられ、愛宕中学校の校区内に、原告がいわゆる政治的偏向教育をしている旨の風評が広まったこと、原田、浜田市議ならびに市教育長らがいずれも被告と同様の誤解をしていたこと、以上の事実はいずれも被告の右誤解に基づく言動、報告がその原因となっているものと推認することができる。

即ち前記九において判断したように原告の名誉が侵害されるに至ったのは、結局被告が本件落書コーナーを設置した本人である原告から何らの事情を聴取することなく前記自己の誤解に基づいて、市教委、生徒らの父兄、原田市議らに対処した一連の行為によるものと認められる。特に原田市議は前記認定のとおり愛宕中学校の校区内に広まった本件落書コーナーに関する誤まったうわさを聞き及び、これを確認するために本件落書コーナーを見ようとしたのであり、右の確認を得たならば同人がいずれ本件落書コーナーの問題を市議会に持ち込み原告の責任を追及するであろうということを、被告としては当然予想し、もしこれを見せるとすれば、原告から事情を聞き、原告が本件落書コーナーを設けた動機、目的についても併せて説明すべきであったのにこれを怠ったことが原告の名誉が侵害されたことの有力な原因の一つというべきである。

つまり、右一連の行為につき被告は過失責任を負うべきである。

一三  なお、原告が主張するように、被告が原告に対する偏見に基づいて原告の教師としての不適格性が社会的に追及されることを意図し、真実に反すると知りながら、本件落書コーナーの過激な政治的スローガン等の落書は原告の示唆に基づいて書かれたものであるとの虚偽の事実を市教委および原田市議らに報告したと認めるに足りる証拠はない。

そうすると、被告は原告に対し、右過失によって原告の名誉を侵害し、同人に対し精神的苦痛を与えたことについてこれを慰藉する義務があるものというべきである。

一四  前記認定の事実および≪証拠省略≫によれば、原告は、被告が本件落書コーナーをはぎ取った直後これを知ったにもかかわらずそのまま組合の仕事のため外出し、本件が新聞報道されるに至るまで、被告に対し落書コーナー設置の意図、目的および記載内容に原告の指示、指導は及んでいなかったこと等の弁明をせず、また自己の責任で設置した本件落書コーナーの返還を求めることもなく放置し、原告は被告が本件落書コーナーをはぎ取った翌日これを市教委へ持参するのを察知するや、県教組佐世保総支部執行委員長豊村幸治に対し即時電話連絡し、右豊村は直ちに市教委に対し右の件をどのように取扱うかを尋ねた事実、および本件落書コーナーに関し、原田市議らが市教育長に対し質問し、これを新聞に報道された直後、県教組佐世保総支部役員が被告に対し交渉を申し込んだ事実が認められ、右認定に反する証拠はなく以上の事実を総合すると、原告自身、被告のとった各措置に対し抗議することはおろか、同人に対し自己の弁明をして同人の誤解を解こうとする努力をしなかった事実を窺うことができ、本件は原告の事後の適切な行動いかんによっては原告と被告間の話し合いのみで解決されうる可能性がないわけではなかったのに、原告は右可能性を追求することを自ら放棄し、組合の力に頼ろうとしたものと評価することができる。

そうすると、本件落書コーナーの問題が学校外へ持ち出され、遂に原告の名誉が侵害されるに至ったことについて、原告にも一半の過失があったものと認めるべく、右は被告が原告に対して支払うべき慰藉料額の算定につき考慮されるべきである。

一五  以上認定した諸般の事情を考慮し、被告は原告に対し原告が本件名誉侵害によって被った精神的苦痛を慰藉するために金七万円およびこれに対する本件不法行為後で、原告の求める本件訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和四五年三月二五日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるものというべく、原告の本訴請求は右の範囲で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文を適用し、仮執行の宣言を付するのは相当でないから却下することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大久保敏雄 裁判官 菅原敏彦 前原捷一郎)

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